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岩橋 耕希 展 -隠れた日常-
8/22(土)~30(日) 会期中無休
11:00-18:00まで (土日は17:00まで)

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揺れるトイレットペーパー       紙・水彩  85.9×59.8cm 2015



 

「都市の孤独と憂いと私」加藤義夫(キュレーター/美術評論家)

 はじめて岩橋耕希(1991年和歌山生まれ)さんの作品を観た時、アメリカのポップ・アートの画家、ジム・ダイン(1935〜)が頭に浮かんだ。「芸術と日常は同価値」として身の回りの日用品を作品の中に取り入れて表現した作家だ。
 岩橋さんが描くものはトイレットペーパー、ハンガー、ヤカン、包丁、ハサミ、クリップ、手帳、万年筆、ジョッキ、ワイングラス、ビンなど日常にあふれているものばかりだ。これといって特別なものや高価なものはない。どこの家にもごく普通に転がっている日用品や雑貨である。取り立てて何故、このようなものを選んでいるのかは推測に過ぎないが、フランス生まれの美術家、マルセル・デュシャン(1887-1968)のレディ・メイド(既製品)の概念を引用し、それを絵画としているようにも感じられた。
 大量生産、大量消費、大量廃棄の現代を語るには、このような日用品が最も表現しやすいともいえる。生産され消費され捨てられる運命にある膨大な数と量のものの洪水の中に生きている現代人。しかし、岩橋さんの描くこれらのものたちは、ジム・ダインやデュシャンの作品のようにあっけらかんとしていない。乾いていない、どこか湿っているのだ。それは物質をものとしてとらえてはいない。物質は何かの化身として表現されているように思われた。
 一連の作品は、紙に水彩絵の具で描かれ、ものの実体と空間の違いが認識されないまま、ものは寂しくたたずみ、孤独感とともに空間に浮遊するかのようだ。これは彼の精神の状態をあらわしているようにも感じられた。自らがこの世界に存在しているようでいて、また不確かで不可解で自らの存在の実感がともなわない感覚。それは彼が感じる孤独感とともに生まれてきた表現なのかもしれない。孤独と向き合おうとしている彼の心は、現代人のすべての人々が持つ、都市生活者の憂いと孤独だ。紙という支持体ににじませた水彩絵の具によって、淡くほのかにささやかれる永遠の孤独だ。
 最新作の「揺れるトイレットペーパー」は、宙づり状態の自らの精神状態と日常の孤独感がヒリヒリと感じられる作品だ。これは彼だけが日常感じている感覚ではなく、都市に生きる行き交う人々のひとりひとりが持つ感覚を代表しているともいえる。都市生活者の孤独と憂いは、近代になってはじまり、現代もなお続く。この孤独と憂いに向き合うことがすべての生活者にとって忘れ去られている。多忙という名の日常にまぎれ込んで。都市の孤独と憂いを彼は彼なりにまさぐり、引っぱり出すことによって自らの世界を語るのが岩橋さんの作品。
全世界の都市の孤独と憂鬱を背負い作品に表現した彼の絵は、観る者たちに何を感じさせるのだろうか。初個展であり、そして孤独な出発でもある。



 

トイレットペーパー           紙・水彩  30.5×23cm  2015

 


 

岩崎 耕希 略歴
1991年  和歌山市生まれ
2013年  大阪芸術大学芸術学部美術学科卒業
2015年  ART OSAKA 2015(ホテルグランヴィア大阪)

 


 

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