「世界の憂鬱と孤独に向き合う人間表現」加藤義夫(キュレーター/美術評論家)
人はなぜ絵を描くのかという問いは、人類にとって永遠のテーマともいえる。近現代においては、描き手の自己顕示欲を満たす表現として、さらに自己実現へ導く方法として自分の気持ちや考え方を目に見える形で視覚化する方法として描かれた。言葉で表現できない感情の高ぶりや感動を画面にぶつけ、魂の叫びとすることもあったであろう。
馬場雄基さんの作品の前に立つ時、止むに止まれない切羽詰まった感情から生み出された、その加速度と瞬発力に爆発を見た。魂のかたまりとでもいうものが活火山のマグマのように吹き出したとでもいうような印象を持った。
馬場さんが好んで使うドンゴロス(ジュート麻の袋)という素材。かつては、1950年代のイタリアの巨匠アルベルト・ブッリや60年代のアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)を代表するギリシャ人のヤニス・クネリスも好んで使っている。彼らは美術表現の根源的な要素を素材という物質にまで還元し、再び問い直した。視覚性と触覚性の強度とエネルギーをドンゴロスという素材に求めたとも言える。特にブッリが求めた新しい表現は、絵画の素材が持つ物質性にその本来の生命を獲得することだった。さらに、伝統的な素材より非伝統的な素材の特質に時代精神のあらわれを感じ、絵画の素材と物質性の研究に取り組んでいた。
それから半世紀以上を経た現在において、馬場さんがドンゴロスを作品素材に使う意味を問わなければならない。その問いに彼はこのように答える。「ドンゴロスのリアルな物質性と平面のイリュージョン性を入れて、より本質的な画面を描きたいと考えます。(中略)絵画という平面性を逸脱したものを作ることで、いままで以上に絵画とは何かと考えられるようになりました。」絵画を語るためにドンゴロスという物質的素材に身を委ねたということであろうか。
馬場さんは語る「私が描く人物を通して、生きることはどういうことなのか、人間とは何なのかを、世に問いかけたいと思っています。人間の根源的な生きる力がテーマ・・・」だと。
ドンゴロスを素材とした表現の他に人物をシルエットで描いた作品群がある。彼の問いたい本質はこれらの人間表現にある。人物が一人であろうと群衆であろうと、それらどの作品にも孤独感が漂っている。作者は若い感受性を張り巡らせ、世界の憂鬱と孤独に向き合っていると言えるだろう。解答のない問いかけに正解を求めて生きる、人生という物語を絵画としているようにも思える。その背景には、時代精神が息づいている。この若い才能は、20世紀の巨匠をこれからどう乗り越えていくのであろうか、楽しみである。
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