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赤松 亜美 展
'13 10/1(tue)-10(thu) 11:00-18:00
会期中無休(土日と最終日は17:00まで)

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また、夏が遠ざかる
mixed media on paper 119.5×99cm 2013


 略歴
 1987 大阪に生まれる
 2012 大阪芸術大学卒業展 学科賞受賞
     大阪芸術大学 芸術学部美術学科 抽象ゼミ卒業
     3人展 ギャラリー風 (大阪)
     KAM 神戸アートマルシェ 2012 (神戸メリケンパークオリエンタルホテル)
 2013 ART OSAKA 2013 (ホテルグランヴィア大阪)



「言葉少なく、はかなさをイメージ」加藤義夫(キュレーター/美術評論)

 2年前の夏に赤松亜美さんの絵画をはじめてみた。その頃の赤松さんは大阪芸術大学芸術学部美術学科の4回生。私は単独で抽象ゼミの3回生と4回生の前期作品を講評した時のことだ。白い絵肌に淡い色彩の詩的で繊細な絵を描く学生との印象を持った。その画面は日本的とも感じられた。 
 日本の穏やかな風土から生まれた文学的概念「もののあわれ」や「はかなさ」という美意識。「無常観」といった不確実性や消え入るさまは、昔から日本人の誰もが抱く世界観のひとつであろう。地理的自然環境の違いがその地域、あるいはそこに暮らす人々の思考や世界観に影響し、また宗教や自然観もそこから派生するものといえる。
「はかなさ」はそこから生まれたといっても過言ではない。このような世界観は、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとに水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」で、はじまる鎌倉時代の随筆家、鴨長明の「方丈記」にも重なる。
 赤松さんの絵画にも日本人が持つ伝統的な自然観が遺憾なく発揮されている。
画面に描かれているものは、花であろうか。本やノートに挟む押し花、あるいは散りゆく花びら。空間から浮かび上がるその姿は、「はかなさ」の象徴ともいえる。花びらは化石となり、記憶を封印し画面に息をひそめ留まる。その沈黙の言葉とは「はかなさ」ともいえよう。
 作品タイトルに使われている言葉にもその「はかなさ」があらわれている。
例えば、「遠くから聞こえる」「ふと寂しくなる」「ある夏の終わり」「君のヌケガラ」「雨がやむところ」「大空のはしっこ」など、彼女らしい感性で「はかなさ」のイメージが展開され、彼女の内なる世界が響き伝わる。
しかし、ただ「はかなさ」を表現しているわけでもない。絵画として成立のさせ方に空間性の工夫もみられる。描かないところに沈黙の言葉を語らせるといったように、画面の空白は大きな意味を持つ。言葉少なく、存在感を示すことも日本的美意識であろう。初個展に期待が膨らむ。